糖軍群雄の記

Interview #5

正しい製糖法を伝え、
「白い砂糖」の
濡れ衣を晴らす。

ビート資料館
館長
清水 政勝さん
(帯広市)

日本甜菜製糖株式会社の芽室製糖所・美幌製糖所にて、長年にわたり製糖業に従事してきた。2013年より現職。自ら館内ガイドを務め、砂糖の正しい情報を伝え続けている。

まことしやかに囁かれる「白い砂糖」の噂。
それは誤った情報が少なくありません。
砂糖の原料や製造法を正確に伝えることで、
砂糖の誤解を解こうと奮闘する人がいます。
これは、糖軍『清水 政勝』殿の挑戦の物語——

誤解されすぎて悪者に…
意外と知らない砂糖の真実

白い砂糖は漂白されている、白い砂糖よりも茶色の砂糖のほうが栄養価は高い、ビート(てん菜)からできる砂糖とサトウキビからできる砂糖は別物である——。これらは、世間で信じられている砂糖像です。きっと、一度は聞いたことがあるでしょう。ところが、どれも事実ではありません。

まず、「白い砂糖」は、厳密に言うと「白く見える砂糖」です。じつは、砂糖は色のない透明な結晶であり、光の乱反射によって、私たちの目には白く見えています。雪が白いのと同じ現象ですね。それならば、砂糖は漂白できるはずがありません。そもそも色がないのですから。では、茶色の砂糖は着色されたものでしょうか。いいえ、それも違います。どうして茶色の砂糖ができるのか、それを知るために製造工程を確認してみましょう。

ご存じのとおり、砂糖の原料はビートまたはサトウキビです。それを〈洗浄〉〈裁断〉します。次の工程が〈滲出(しんしゅつ)〉で、これは原料から糖分を抽出して「ロージュース(滲出汁)」を取り出します。この滲出汁に、石灰原石をコークスで焼いて得られる焼成石灰を溶かしたものを投入。これにより、滲出汁内の不純物を抱えて沈殿させ、その上糖液(うわとうえき)に炭酸ガスを吹き込み、非糖分を取り除く〈清浄〉、純度の高まった糖液を煮詰める〈濃縮〉を行います。そうしてできる「シックジュース(糖液)」を〈結晶化〉して、結晶と蜜(振蜜・液体)を分離する〈分蜜〉を経て、結晶を〈乾燥・冷却〉させると砂糖のできあがり。結晶そのままがグラニュ糖で、転化糖液をふりかけたものがしっとりとした上白糖です。

では、結晶をとったあとの蜜はどうするのでしょうか。みなさんご存じのとおり、糖液は熱を加えるたびに色がどんどん濃くなっていきます(カラメル化、黄褐色化)。茶色の砂糖として親しまれている三温糖は、「三番糖蜜(三回熱を加えた糖液)」からつくられたので、三温糖と名付けられました。あの茶色は、着色しているのではなく、糖液を煮詰めた色なのです。また、製造工程からお察しのとおり、上白糖やグラニュ糖よりも三温糖の栄養価が高いわけではありません。ただ、三回熱を加えることにより、独特の風味とコクが生まれ、煮物には向いているのです。ひとくちに砂糖といっても、さまざまな種類があるので、それぞれの特徴を知って、上手に使い分けたいところですね。

ところで、砂糖の製造工程は、原料がビートでもサトウキビでもほぼ同じ。つまり、ビートの砂糖とサトウキビの砂糖に違いはありません。ただ、1kgあたりに含まれる糖分には違いがあって、ビートは約16.5〜17.0%、サトウキビは約12〜13%——つまり、ビート1kgからは165〜170g、サトウキビ1kgからは120〜130gの砂糖がつくれる計算です。ビートのほうが、効率のいい作物といえるでしょう。

参考/『糖軍の寺小屋「砂糖ができるまで」の巻』へ(https://tenkatoitu-project.jp/terakoya/

北海道がビート産地になった理由、
製糖業があゆんだ険しい道のり

砂糖の原料であるビートは、冷涼な土地で育つ作物です。日本では、大学や研究所の試験圃場を除くと、現在は北海道だけで栽培されています。北海道をビートの生産地にした立役者が、ホーレス・ケプロンとウィリアム・クラーク。ふたりとも明治初期にアメリカから来日して、北海道の農業の礎を築いたお雇い外国人です。ケプロンは、開拓使次官・黒田清隆に懇願され、アメリカ合衆国農務局長を辞して北海道へとやってきました。そのケプロンの進言で、マサチューセッツ農科大学の学長だったクラークが招聘されます。Boys, be ambitious!の言葉を残した、かのクラーク博士ですね。彼が「北海道はビート栽培に向いている」として、ケプロンとともにビートの導入を推し進めました。当時のマサチューセッツ農科大学は、全米一のビート栽培・製糖技術を誇っていたので、クラーク博士の主張は理解できます。ところが、のちに北海道酪農の父と呼ばれるエドウィン・ダンと友人たちは反対しました。さまざまなデータを示して、「北海道はビート栽培に向かない」と結論づけたのです。

開拓使はどうしたかというと、推進派の意見を取り入れました。もっともビート栽培は失敗続き。明治期に創業した製糖所は二社とも解散してしまいます。しかし、新渡戸稲造はじめ、クラーク博士の優秀な教え子たちは諦めませんでした。品種や栽培技術をどんどん改良して、最終的には北海道をビートの生産地にしたのです。

大正8(1919)年、北海道製糖株式会社が創立され、帯広製糖所が稼働しました。これが、現在の日本甜菜製糖株式会社(日甜)の前身です。明治期の失敗を糧に、栽培技術や製糖技術を磨き、ビート農家への栽培指導も積極的に行いました。その伝統は現在に受け継がれています。また、同業者として昭和期からビート栽培・製糖をともに担ってきた北海道糖業株式会社(北糖)やホクレン農業協同組合連合会(ホクレン)とは技術面で交流があり、切磋琢磨しながら砂糖をつくり続けています。

貴重な資料と映像で魅せる
日甜の「ビート資料館」

私どもの「ビート資料館」は、日甜の資料館です。創業70周年を記念して、平成元(1989)年に設立されました。最大の目的は、貴重な資料の散逸を防ぎ、保管すること。そして、ビート栽培・製糖の歴史や栽培法・製糖法を正しく伝えていくこと。それは、北海道のビート栽培・製糖を牽引してきた先駆者としての責任なのです。

お展示室1〈帯広製糖所の誕生〉では、北海道のビート栽培・製糖の黎明期について、展示室2〈ビート糖業と技術史〉では、砂糖の製造工程や製糖技術について、展示室3〈ビート糖業と日甜の歴史〉では、さまざまな困難を乗り越えて北海道がビート生産地として発展してきた歴史について学べます。また、映像展示室ではビートに関する映像を、資料展示・閲覧室では実際に使用されていた機器類やビートに関する書物をご覧いただけます。

というと、堅苦しく感じるかもしれません。たしかに北糖やホクレンの技術者や農業系大学の学生のみなさんが研究のためにお越しになりますが、地元の小学生たちも郷土の産業を学ぶために訪れますし、いちばん多いのは観光客です。誰もが楽しく見学できるように、ビートの模型や製造工程の模型、ペーパーポットなどの農業資材、砂糖製品のほか、パネルなどを使って展示に工夫を凝らしています。

まことの砂糖を知ってもらい、
正しく甘い世の中をつくる

私が館長に就任した平成25(2013)年から、来館者の滞在時間や興味に合わせて館内ガイドをしています。そのなかで、「白い砂糖は漂白していると思っていたから、うちでは三温糖しか使っていません。白い砂糖は体に悪いものではないのですね」という反応がけっこう多いです。また、「砂糖には賞味期限がない」とお伝えすると驚かれます。サトウキビやビートの糖液を結晶化した砂糖は、適正に保存すれば劣化しないので、賞味期限はないのです。この9年間でさまざまな方々とお話しましたが、砂糖はよく知られていないし、誤解されているのだと感じますね。ずっと製糖業に関わってきた者として、それは見過ごせません。第一にビート・サトウキビを一生懸命栽培いただいている生産者に対して失礼ですし、濡れ衣を着せられた砂糖も、体によくないものだと信じ込んで砂糖を口にしない人も、気の毒ですから。

だからこそ、ビート栽培・製糖の歴史や技術とともに、砂糖の正しい情報を伝えていくことが、ビート資料館の使命だと考えています。ここを訪れた方々には、正しく砂糖を知って、おいしく味わっていただきたいです。

hokkaido komekono oyatsu WAKKA(ワッカ)

施設情報 ビート資料館

帯広市稲田町南8線西14番地 / TEL・FAX.0155-48-8812

● 開館時間/9:30〜16:30
● 休館日/月曜・8月15日・9月5日・12月29日〜1月3日
● 入場料/一般300円、大学生200円、高校生以下100円※20名以上は団体料金
● ホームページ/https://www.sugarbeets-museum.com

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